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‘思考メモ’ カテゴリーのアーカイブ

本を読んだだけでは身につかないわけ

2009 年 6 月 7 日 日曜日

私は月に数冊は本を読みます。
とくに実用書、ビジネス書の類を読むことが多いのですが、そんな中で、どうにも困っていることがありました。

それは、理解できたつもりのことが、いざ実行しようとするとうまくやれないということ。

「わかっているはずのことが、いったいなぜできないのか?」

いかにも不思議なことです。わかっているならできなくてはおかしいはずです。

なのになぜできないのか。

その疑問への答えが昨日わかりました。そのものズバリの回答がこの書籍に乗ってあったのです。

脳を活かす仕事術

この書籍によると、私たちは本を読んで情報をインプットするだけでは実用的な能力として使えないのだそうです。

人間の脳は、ある情報をアウトプットして初めてその情報を整理して自分のものと出来るように作られているのだとか。

アウトプットが大事、とはよく聞きますが、それはあくまで「情報を公開することで新たな情報を引き寄せる」といったたぐいのノウハウだと思っていました。
しかし、学習のためにも、アウトプットは必要なものだったようです。

いや、目からうろこでした。

コスト削減とはケチケチ運動か

2009 年 5 月 11 日 月曜日

前々から疑問に思っていました。

それは、ケチケチ運動はコスト削減に本当につながるのかということです。

コスト削減をうたい、ケチケチ運動を進めるのは私もよく見たことがあります。
たとえば紙代の節約のためチラシの裏をメモ用紙に使うようなものです。
ですが、よく観察していると、そのチラシをメモ用紙にするために社員が10分から20分くらいかけてせっせと作業していたりするのです。
社員の給料はどう考えても1000円を超えるのですから、仮に10分で終わっても六分の一で160円です。メモ用紙など100円もあれば余裕で買えます。
なんのことはない、ケチるためのコストで削減できたコストを優に越えてしまっているのです。

――ケチるための手間暇が結局コストになって、ケチったことによるコストダウンは効果が薄いか下手をすると逆効果になっている。ケチケチ運動をもってコスト削減するのは難しいのでは――?

それがずっと疑問だったのです。
よほど浪費しているような場合は別として、ケチケチ運動はしょせん見世物としての性格が強いような気がします。あるいは虚構の達成感を得るためかもしれません。なんにせよ、手間暇かけて今のコストを別のコストに振り替えて問題を見えにくくしているだけではないのでしょうか。
一社員として芝居に参加するのはいいとしても、店を回す立場の人間がケチケチ運動を進めてコスト削減をやったつもりになっていてはいけないと思うのです。

なのでケチケチ運動を私は嫌っていて、これまでやらずにいたのですが、これはコストダウンを怠っていることになるのであろうか、と少し悩んでいました。

今日、たまたま読んだ本で、悩みが解けました。

「コスト削減とはケチケチ運動ではない。大きなコストダウンはケチケチ運動などで達成されるものではない」 
『無在庫販売のすすめ方』より

「そうですよね!」
と我が意を得た気持ちでした。
これまでの方針は間違っていなかったと安どするとともに、今後もこれまでどおりにやっていこうと意を強めました。

思いて学ばざればすなわち則ち殆うし。
先達の教示はありがたいものです。

もっとも幸せを感じた時間

2009 年 5 月 10 日 日曜日

この不況の昨今、日々商いのために身を削っている方も多いかと思います。

私も商人のはしくれ、身を削るというほどでもないのですが、それでも朝起きればやはり考えるのはブックジーのサービスをどうやってうまく回していくべきかということです。人生の多くを仕事に費やしています。

さてなぜそこまで仕事をするのかということを考えるに、後進の育成や自分自身の成長といったやりたいことがあって、そのためにお金が必要だから必死にやっている、ということに私の場合はなるわけですけれども、はたしてそれが己の幸福とつながっているのかということは、ときには考えねばならないことかと思います。

といいますのは、これまで何度か、古くは受験に始まって今では仕事の企画といった具合に、私なりに挑戦したことが多くあり、その中で成功したり失敗したりよろこんだり嘆いたりしてきたわけなのですが、はてここ数年で最も喜びを感じたのはどんなときであったかと省みると、思い浮かぶのは、もっとも狙い通りいったときでも大きく成功した時でもなくて、同僚の子どもと勘定抜きで気楽に遊ばせてもらったときのことなのです。

仕事を最優先する今の姿勢に問題を感じるわけではないのですが、自分がこういった志向を持っているということは、頭の片隅にでも置いておかねばならないのかなと思います。

間違いを認めないということ

2009 年 4 月 28 日 火曜日

 十人十色と申しますけれども、人の中には人間の間違いを認められないかたもいるようです。

 人の間違いは許しませんし、自分が間違ったこともないと思う、そういう感じのかたですね。

 ですが、神様ならたしかに間違わないのかもしれませんけれども、人間が神様並になることも、神様を超えることもあいにくありませんで、やはりなにがしかの間違いはやるものです。

 なので、不思議に思っていたのです。

「人間が間違うのは許さない」
「人間は間違うものである」
 この相反する状況をいったいどう解決するのだろうか、と。
 でも今日、答えを見つけたかもしれません。

 その答えとは

「間違っていないと思いこむ」

 とりあえず現実には間違っているわけなのですけれども、これなら少なくとも頭の中では矛盾がないわけです。
 まあ納得はできます。
 
 もちろん個人的にはもったいないなと思います。
 現実とは異なる認識をしてしまうと、いろいろ高くつくはずです。おそらく、さまざまなシーンでトラブルにあったり、利益を逃したり損をすると思います。
 間違いをみとめないのは、損です。自分のものであれ、他人のものであれ。
 素直に認めたほうが得しやすいと思います。

 ただ、この問題は、得か損かという話ではあるけれども、いいか悪いかということではおそらくないとも思うのです。

 私などは現実誤認の挙句損することは悪だと考えておりますけれども、人によっては、損をしてでも現実とは異なる認識をするのが正しいかもしれません。
 すくなくとも、事実誤認を続ける人は、その人にとってはそれが正しいからそうしているはずなのです。

 あえて損なことも正しいと認識させるのが人の心だとすれば、心とは興味深くも厄介なものです。

Eラーニングと奨学金、学習塾を組み合わせられないか?

2009 年 4 月 21 日 火曜日

Eラーニングと奨学金、学習塾をすべて組み合わせることはできないものかと思います。
教育と選抜、援助をトータルに低コストで実現できないかという趣旨です。

現在の日本では、経済力を理由とした社会的階級の固定化が進まんとしている感がありますけれども、やはり優秀な若いかたにはそれ相応の機会があったほうが社会のためになるはずです。
学業も優秀、人格も誠実という若者が、しかし生まれた家庭の経済状況が悪く先行きはたかが知れる、というようなことでは、もったいないと思えてなりません。

こういう若いかたには、結果を用意する必要まではないにせよ、せめて機会だけでもあったほうが良いと思うのです。

ということは、低コストでかつ質の高い教育を受ける手段がほしいわけですが、正直学校が再生するのはしばらくあとと思えますので、やはり学校が終わった後に賭けねばならないのではないかと思います。
つまり学習塾ですが、あいにく学習塾はコストが高いです。

この点、Eラーニングは期待できるのではないかと思います。

たとえば動画をワンクリックで見られるようにしておいて、数学Ⅰ(No.13/54)のといった具合で参照できるようにしておくなどです。ハイレベルな教師を一人一人にあてがうのは難しいですけども、ひとつのカメラの前で実演するだけならできます。そして1本のコンテンツはいくらでもコピー可能です。
動画配信では教師に質問はできませんが、なに、私が高校や大学にいたころだって、教師に質問する生徒などわずかで、普段の授業のときはたいていみな黙りこくっておりましたから、実質さほどの違いはないでしょう。
コストもそこまではいかないでしょう。かりに一人当たり月々500円でも、動画を配信するだけなら何とかなる気がします。インフラを一から用意すると大変でしょうが、まあそこはそれ、ドワンゴ等の優秀なインフラを持つ企業にほんの少しのカスタマイズと間借りをお願いするといった手段でだいぶ安くあげられるのではないでしょうか。タダでというと無理でしょうが、報酬を用意すれば無碍に扱われることもないでしょう。
生徒の家庭としても、月々1万円やそれ以上の学習塾の費用はなかなか大変でしょうけれども、月々500円くらいならなんとかねん出できるものではないかと思います。

仮にオンラインでインフラを整えるのが困難なら、ぽすれんのようにDVDレンタルでもなんでもいいです。
要はコンテンツ配信ができればいいのであって、特定の配信手段にこだわる必要はないです。

とはいうものの、オンラインのコミュニティは利用したいものです。
学力を知る手段、まあテストになるのかとは思いますが、そういったものを随時用意しておき、一方ではMixiのような形でテストの結果や学習内容についての質問や回答ができるようにして組み合わせるのが面白いでしょう。
教えたポイントであるとか、あるいは高得点ポイントであるとかで、序列をつけてみるとやる気が出てくるかもしれません。むろん上位の人にはなにかしら特権があるべきです。

そうこうする中で、見どころがある方というのがわかってくるはずですから(正確に言うと、予め見どころがある方を抽出できるシステムを設計しておくのですが)、ではそういうかたが経済的に弱いということであればなにかしらの支援策を提供すればいい、ということになるでしょう。

とかく今の日本も、そしておそらく今後の日本も、お金がありませんので、優秀な人にもそれほどでもない人にもおしなべて学費を提供するのは難しいと思わざるを得ません。
となると、シビアな話ながら優先順位をつけねばならないのは当然で、限られた奨学金の予算を効果的に使うためには、奨学金を出すべき相手を抽出する手段があるべきです。そしてその抽出手段は、範囲が日本全国に及び、かつ全国で同一の基準であるのが望ましいでしょう。
と考えると、Eラーニングという手段が優秀な人の抽出方法にむいているのではないかと思います。

さて長々と書いてきましたけれども、しかしこのアイディアにも抜け落ちが多く、たとえばEラーニングで完結できるわけではない点が泣きどころです。
というのはEラーニングはもっぱら一人でパソコンの前に座ってやるわけですが、そうすると自分の行動が相手に及ぼす影響を識ることができないわけで、これはヒューマンスキルが磨かれないという致命的問題を発生させるおそれがあります。
テレビ電話で遠隔通信、というのもあまり望ましくありません。通信で再現できるのは音と映像までであって、それ以外の情報は抜けます。対人折衝の勉強を不完全な情報で行っても中途半端でしょう。メールのやりとりだけ、というようなものは元より論外です。
やはり実際に生でやりとりする必要がどうしてもあります。
ではどうするのか、ということで、発声法や人間観察術、社会の成り立ちといった基礎教養なども教えつつ、実践の場として近所の神社やお寺さんを借りてなにかしらイベントをするなど、そういったことをやっていくしかないのかなと思います。
ボーイスカウトの都市版みたいな形になるのでしょうか。
(余談ながら、この手の実学を高校までに教えないのはなぜだ、と私はつくづく思います。音楽を聴く暇があるなら聞きやすい発声法を学べるでしょうし、外で絵を描く暇があるなら人間観察術を学べるでしょう。社会の成り立ちを教えれば人生計画もたてやすいというのに、これも教えません。お金の重要性すらろくに教えません。そうして蓋をしたツケは確実に若い人に回るのですから、しょうもないかっこうをつけてないでちゃんと教えてやってくれとつくづく思います。あと宗教の場を指定していますけれども、これは良き宗教の道徳に及ぼす好影響を期待するものです)
人生の最高の教師は親である、というくらいで、本来は家庭での教育でこういったことを賄ってくれるのが一番なのですが、あいにくそういう恵まれた家庭に生まれるかたは3割か4割ていどにすぎないでしょうから、残る6、7割は別の手段でやるしかないでしょう。
こういった生家のソフトウェア的格差も今後深刻な問題となるように思いますので、対策はほしいものです(今後はこの問題が重くなっていく気がします)。

あと、現状の一番の問題として、情けない話なのですが、このアイディアを実現するお金が足りていないということがあります。
まったく、あらゆるドアはお金がないと開かないようです。
いずれお金ができたら、あるいはお金を持っている人とのお付き合いができたら、せめて一部なりとも実現したいものです。

まあ、一番は、似たようなことを考えたどなたかが上述のようなことを実現して下さることなのですが――私的な名誉がほしいわけではなく結果がほしいだけなので、同じ結果が得られるなら自分が実行せずに済む方がぶっちゃけ楽です(笑)――さすがにそこまで他力本願というわけにもいかないでしょうから、ボチボチ頑張っていこうと思います。

うまくいったらご喝采。
うまくいかなかったら、どなたかお願いします(笑)

定価はチラ見、市価はガン見

2009 年 4 月 20 日 月曜日

タイトルをちょっと標語っぽくしてみました。

いかがでしょうか。
ガン見という単語が標語にふさわしいかは自分でも疑問ですが、語呂はいいと思います(笑) あ、念のために申しますと、市価というのは中古価格相場のことです。

これなにかと申しますと、「USED品を取り扱うものは定価を基準にしてものを考えると痛い目を見る。」というとても痛い目にあった経験からきた教訓です。

新品の市場以上に、中古品の市場においては定価は参考以上の意味をもちません。
その品に価値と需要があるかどうか、あるならばいくらが適切な価格か、本当に大事なのはそちらです。

ものすごくシビアなのです。

そのため、中古品を買うときは、よくわからないからと定価を基準にしてものを考えてはいけません。価値のない品を高値掴みしてしまって損します。基準は常に市価におくべきです。定価は参考にするだけに留めるべきです。

例をあげてみます。
もしお店で2つの品が目にとまり、それぞれ

A)定価10,000円のところ特価1,000円!
B)定価2,000円のところ1,000円

という値付けがされていた場合、Aのほうがお得であると思われるかたも多いのではないでしょうか。

しかし、ここにもうひとつ、中古相場を見る目を導入して、実際はこういった状態にあったとしたらいかがでしょう。

A)定価10,000円(中古価格相場100円)のところ特価1000円!
B)定価2,000円(中古価格相場1,800円)のところ1,000円

Bの方がお得ですよね。

例が極端でしたが、中古品市場ではこれに近いことがままあります。
定価などあってなきが如し、定価4000円の品が100円の価値しかもっていないかと思うと、定価1000円の品が15000円の価値を持っていたりします。

なので、

「定価が10000円ですよ? その1割の1000円で売ってあげようと言っているんだからお得に決まってるじゃないですか、今すぐ買うべきですよ!」

なんて売られ方をしても、ホイホイ乗ってはいけません。
定価10000円のものが実際には100円の価値しかないことなどザラです。

大事なのは市価です。
というわけで、『定価はチラ見、市価はガン見』です。

逐次処理と並行処理の考え方、そしてプログラマの視野の狭さ

2009 年 4 月 16 日 木曜日

今『心の操縦術 (PHP文庫)』という本を読んでいたのですけれども、それによると、考え方には2通りあるのだそうです。

つまり、順番に考えていく順次性、同時並行で考えていく並行性です。

特徴
逐次処理 ・・・ 順序立てて物事を考えていく手法。「(1)A=B、(2)B=C、(3)よってA=C」といった具合
並行処理 ・・・ 同時並行で物事を考えていく手法。「営業、経理、広報、預金口座、日付を一度に考えて判断を下す」といった具合

ここでふと思ったのが、IT系の特にプログラマー(自分ももともとそうなのですが)は逐次処理のほうに能力が偏りがちになるのではないかということです。
プログラミングというのは基本的に逐次処理がベースになります。1行目に書いた処理が終わってから2行目、2行目に書いた処理が終わってから3行目、といった風に、必ず順序どおりに処理が行われます。1行目と2行目3行目がいきなり同時に処理されることはありません。
そのため、自然とそういった処理ばかり利用しているプログラマーは、逐次処理の能力が常に訓練されることになり、こちらに能力が偏るのではないかと思ったのです。

たまにプログラマーの半ば笑い話、半ば深刻な話で、視野の狭さが取り上げられることがあります。
「与えられた処理はたしかにできているけども、業務には使えない」
「技術的にはすごいソフトを開発するのだけども、実用上の意味がない」
ひどくなると
「言葉が通じない」
などなど。
こういった事象もこの逐次処理能力への偏りが原因なのではないでしょうか。

『心の操縦術』によると、広い視野を持つにはどちらかと言えば並行処理型の能力が必要になるそうです。
正しい気がします。
逐次処理はある1本線の延長上にあるもの以外考えないのですから、仮に100%逐次処理能力しかない人がいたとすると、視野は現在考えている一本線の延長上にあるものだけに限られます。
この点、並行処理ができる人は数本線+その数本線の組み合わせの数だけ視野が持てるわけですから、逐次処理オンリーの人と比べグンと広い視野を持てるはずです。
広い視野は並行処理型の能力の賜物という主張は整合性が取れています。

さて、以上は仮説にすぎないわけですが、もし正しいとすると、視野を広げたい人は並行処理能力を高める訓練をすると良いことになります。

実際のところ、どうなのでしょうか。

気になりますので、いわしの頭も信心からと申しますし、この『心の操縦術』にあった並行処理能力を高める(とされる)トレーニングを自分で試してみようと思います。
結果はまた後日。

セットものの御値段と、仕事を最後までやる大事さの共通点

2009 年 4 月 15 日 水曜日

コミックや娯楽小説などはセットになると価値が高くなります。
それもかなり高くなる傾向があり、仮に1冊1冊の合計が300円程度でもセット価格なら2000円の価値が出ることもあります。
そのためコミックや娯楽小説はセットで売るのが高く売るコツだと言えます。

さて、そのセットもたまに数冊抜けていることがあります。たまたま近所で売っていなかったとか、そういう理由であろうと思うのですが、そう言うときは、セット価格は適用されるものの、抜けた分は価値が下がります。

それも不思議なことに、数冊分で数割下がります。
仮に全部で50冊のうち5冊がないなら減価は10%だけかというとそうではなくて、20%や30%、あるいはもっと下がっています。

これはどうも、欠けている部分をあとで買い足したりするお金と手間の分が引かれるということのようです。

こういった事象を考えていますと、つくづく、仕事も商品も同じで、最後まできっちりやって初めて満額の価値が出るのだな、と思います。

「8割がた終わったから8割分の価値を認めて報酬を下さい」

とお願いしてもそれはだめで、残り2割が終わっていないうちはせいぜいが5割か6割くらいの価値しか認めてもらえません。あるいはもっと低いかもしれません。
「仕事は最後まできちんとやりなさい」とアニメ「千と千尋の神隠し」で主人公がたしなめられるシーンがありましたが、まさにそういうことなのでしょう。

仕事を最後まで終えたつもりでやり残しを見落としていた、というようなことが私もこれまでにありましたので、これはよくよく注意しないといけないと思っています。

古本は自分で売るのが一番という嘘

2009 年 4 月 12 日 日曜日

ときどき「古本を高く売りたいのですがどうすればいいでしょうか」というような質問がOKWaveなどでなされています。

そして、この手の質問への回答として必ずと言っていいほど書き込まれるのが、
「自分で売りなさい」
というものです。

しかし、これは本当に正しいのでしょうか。

たしかに合計金額だけみれば自分で買い手を見つけて売るのが一番高くはなります。
その意味では正しいです。

ですが、コストの観点が抜けています。

自分で売れるようになるまでには、梱包材や販売ルートの用意など、それなりに苦労する必要があります。
さらに自分で売れるようになったとしても、今度は運用に手間暇をかけねばなりません。今は競争が激しいので、求められる水準も高いです。土日だけ使って発送、なんてことは許されず、平日も注文の翌日か遅くとも翌々日までに発送するのがMUSTです。
つまりほぼ毎日注文チェックと発送をしないといけないわけです。
自分も経験があるからわかるのですが、これは別に仕事をもっている人にはかなりつらいです。
うっかり疲れからミスをすれば、クレーム対応でへとへとになるおまけつきです。

しかも売れるまでにはそれなりに時間が必要になりますから、処分したい品物が延々と部屋を占拠するという状態が続きます。古本は供給過剰の状態であり、出せばすぐ売れるというものではないので、それなりに長い時間がかかります。3か月頑張って半分売れれば良い方です。

そして、それだけの手間暇をかけて得られる金額は、よほどの読書家は別として、全部売れたとしてもせいぜい1万か2万程度といったところです。当店に持ち込まれる品がだいたいこのくらいなのです。

「あれこれ時間と金をかけて平日も毎日チェックする手間をかけて、それで得られる金がたった1万か2万というやり方はベストだと言えるのか」

という話です。

結論から言って、この問いに対する回答がノーだから、自分たちUSED品を扱う店が存在するのです。
本当に自分で売るのがベストなら、古本屋は存在していないはずです。

よほど時間が有り余っている人は別として、自分で売るのは割に合いません。特に社会人はそうです。

古本屋はある程度量を扱うからやっていられるのであって―といってもギリギリなのは否めませんが―、個人が所有する程度の量では経済性が低すぎるのです。
そんな暇があるなら、ショットワークスかなにかで短期アルバイトをしてきたほうがてっとり早くて確実だし、得られる金額も多いでしょう。

結局、古本の販売は古本屋に任せるのが一番です。餅は餅屋です。

限界まで買いたたく店に持っていくと駄目ですが、それなりに頑張っている店ならそこそこの額は出してくれるはずです。
(ただし大手新古書店はお勧めしません。買値が安いです。それどころか下手をすると送るための段ボールすら有料と言われます。むしろ中小の店のほうがお勧めです。店主の方針次第なので、あたりはずれが大きいのですが)

尚、手前みそながら、当店では直近3つの買い取りでそれぞれ7千円、5千円、6千円を出しています。
かなり頑張っているほうだと思うので、もし手元に売りたい本があり、それが新しめのいい本であるなら、これを機会に一度当店をお試しください。

追記:
読み返すと、なんだか最後のセリフが言いたかったのかと言われそうですね。でも、けっこう本当のことを書いたつもりです。

マーケットプレイスにおける他の出品者の梱包方法についての考察

2009 年 4 月 8 日 水曜日

今日マーケットプレイスで昔頼んでいた書籍を一気に開けたのですが、いろいろ梱包方法に違いがあって面白かったのでメモします。

古本市場
緑色の印刷済みエアーキャップ封筒を利用。そのため書籍自体は封筒に直で入れられていました。
このタイプは梱包材のコストが高いという難点があるものの、梱包の手間は省けるので人件費を抑えるのに向いています。古本市場ともなると一日に扱う量も大量になりますから、人件費削減のほうを優先したということなのでしょう。

それから宛名はバーコード付きのシールを利用していました。バーコードは二つで、上部にあるものが郵便番号、下部にあるものが受付番号(注文番号?)です。

面白いのは、封筒にはあくまで古本市場のロゴだけを印刷しており、差出人・変換先はシールに印刷していたこと(このため、シールは宛名印刷用としては広めのものを利用していた)。これはおそらく、差出人を封筒に印刷すると住所が変わったときに使えなくなるのを嫌ったのであろうと思われます。

そんな対策をとる点から逆算して、この特注の封筒はコスト削減のため一度に相当量を発注しているものと思われます(1万くらいでしょうか?)。

それから、料金後納郵便によるゆうメールにて発送されていました。古本市場ともなればおそらく特別運賃(2)になっているでしょうから、送るときの送料はかなり安く済ませられているでしょう。メール便を使わないのは、おそらくエアキャップ封筒は嵩張ることから使えないのだと思われます。ただ、トラブルがあったときに発送証明ができきない点が問題になる気がしますが、個別に追跡できるような領収証を取っているのでしょうか。

最後に、封は糊づけしていました。おそらくこれも封筒にもとからついている糊です。

ブックマート
普通の茶封筒を利用。社名印刷などは宛名に記載していました。
宛名はシールではなくて普通のコピー用紙を裁断したものをOPPテープでとめていたのが、人手が余り気味でかつ経費削減を求められているのかな、と思わせるものがあってすこし悲しい感じでした。
中の品物は普通のビニール袋で梱包されていました。OPP袋ではないのがちょっとびっくりです。普通のビニール袋はもろくないでしょうか。
ただ、シーラーを使って止めていたのは興味深かったです。シーラーはうまく使わないと破れたり空気がたまったりして取扱いが難しいのですが、割合とうまくできていました。

尚、発送はメール便でした。

ブックスはた
珍しい黒い樹脂系の袋を利用。品物はOPP袋でギチギチにくるんだ上に厚紙でカバーして送られていており、「これでもか」と言わんばかりの梱包がなされていました。(おかげで開けづらかったのは秘密です)もしかして梱包についてなにかしらのクレームをもらった結果でしょうか。黒い樹脂系の袋を使っているのも、水ぬれ対策である可能性があります。
また、宛名も表と裏にそれぞれ宛先と送り元を別々に印刷したコピー用紙を切ったものをOPPテープではりつけていました。
おそらく今回もっとも梱包に手間暇をかけていた出品者でしょう。
これは人件費や梱包コストでけっこうつらいんじゃないか、とおせっかいながら考えてしまいました。

ただ、黒い封筒というのはインパクトがけっこうあって、ポストに入っているのを見たとき何事かとびっくりしました。そんな大げさなと思うかもしれませんが、まあ、ポストを開けたら謎の黒い物体が入れられていたと想像してみてください。初めての経験だとけっこうギョッとすると思います。

また、ガムテープで留めているものだから全体的にやや見栄えが悪くなっていました。梱包に力を入れているのにそういう印象であるのは、どこかちぐはぐな気もします。そこまでコストをかけられるなら、封筒はライトカラーのものを選択し、封も普通のガムテープではなく透明のOPPテープを使ったほうが見栄えが良い気がするのですが、だめなのでしょうか。
ちなみにメール便でした。

古物商あだち
今回もっともふつうの梱包であった出品者。普通の茶封筒に切り取ったコピー用紙をOPPテープで貼り、ビニール袋(ここはちょっとチャチではある)で包んだ本を入れて発送していました。ここもメール便です。

最後に感想
どの店も考え方がよく出ており実に興味深いものがありました。どれも大変参考になりました。
中でも今回のマイベストは古本市場です。梱包の手間をもっとも削減できるのはこの店のやりかたでしょう。
印刷済み封筒を使うことによってブランドイメージの向上も図っており、さすがは、という思いがします。

エアキャップ封筒+ゆうメールは、ふつうは梱包材の高さと送料の高さがネックになるのですが、大量発注によってフォローしたならば人件費削減によりコスト的にも十分見合うものになるのではないかと思います。